大衆社会と大正デモクラシー・民族運動 ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 ガンディーの塩の行進 (ア 1930 年 イ 1912〜13 年 ウ 1918 年 エ 1916 年)
- 次の人物・団体と関係が深いものはどれですか。 市川房枝 (ア 民本主義(普通選挙と政党内閣を主張) イ 初の本格的政党内閣。「平民宰相」。普通選挙には反対 ウ 天皇機関説(天皇は国家の最高機関) エ 新婦人協会・婦人参政権運動)
- 1911 年に平塚らいてうが創刊した雑誌『青鞜』の創刊の辞の言葉はどれですか。 (ア 「君死にたまふことなかれ」 イ 「閥族打破・憲政擁護」 ウ 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」 エ 「元始、女性は太陽であった」)
- 1924 年にアメリカで制定され、日本で強い反発を招いた法律はどれですか。 (ア 禁酒法 イ ワグナー法 ウ 移民法(アジア系移民の事実上の禁止) エ 社会保障法)
標準
- 大衆社会と大正デモクラシーについて、1925 年の普通選挙法の内容はどれですか。 (ア 直接国税 3 円以上の男子に選挙権 イ 華族・士族に選挙権 ウ 20 歳以上の男女に選挙権 エ 納税要件を撤廃し、25 歳以上の男子全員に選挙権(有権者は約 4 倍の 1,240 万人)。女性は除外)
- 大正期の社会運動・大衆文化について、大正〜昭和初期に登場した「職業婦人」の例はどれですか。 (ア 女性兵士 イ 女工・小作人 ウ タイピスト・電話交換手・バスガール エ 女性議員・女性裁判官)
- アジアの民族運動について、1919 年のローラット法とアムリットサル事件はどのような出来事ですか。 (ア インドとパキスタンの分離 イ インドに自治を認めた法律と祝賀行事 ウ イギリスが令状なしの逮捕を認める法律を作り、抗議集会に発砲して多数を殺害した。反英運動が高まった エ イギリスがインドから撤退した事件)
- 1928 年の張作霖爆殺事件の内容と結果はどれですか。 (ア 関東軍が満州の軍閥張作霖を列車ごと爆殺したが、息子の張学良は国民政府側についたため、日本の思惑は外れた イ ソ連が張作霖を暗殺した ウ 張作霖が日本と同盟した エ 国民政府が張作霖を処刑した)
- 中国の新文化運動について正しいものはどれですか。 (ア 清朝の復活をめざした イ 日本との文化交流を進めた ウ 科挙の復活を求めた エ 陳独秀の『新青年』や胡適・魯迅が、白話(口語)文学の提唱や儒教批判を通じて中国の近代化を訴えた)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 青鞜社/友愛会/新婦人協会/全国水平社/治安維持法/三・一五事件 (ア 友愛会 → 青鞜社 → 全国水平社 → 新婦人協会 → 三・一五事件 → 治安維持法 イ 青鞜社 → 友愛会 → 新婦人協会 → 全国水平社 → 治安維持法 → 三・一五事件 ウ 三・一五事件 → 治安維持法 → 全国水平社 → 新婦人協会 → 友愛会 → 青鞜社 エ 青鞜社 → 新婦人協会 → 友愛会 → 治安維持法 → 全国水平社 → 三・一五事件)
- 「大衆化」が民主主義を広げる一方でファシズムにもつながったという見方の根拠はどれですか。 (ア ファシズムは大衆を排除したから イ 民主主義とファシズムは無関係だから ウ 大衆は政治に無関心だったから エ 普通選挙とマスメディアで大衆が政治の主役になったが、その大衆は画一的な情報や扇動に動かされやすく、ムッソリーニやナチスは大衆の支持で政権を得たから)
- 三・一運動後に日本が朝鮮で「文化政治」に転換したことの評価として適切なものはどれですか。 (ア 武断政治をさらに強めた イ 朝鮮の独立を認めた ウ 朝鮮人に日本と同じ権利を与えた エ 憲兵警察の廃止や新聞の発行許可など統治を緩めたが、同化政策と植民地支配そのものは続き、独立要求に応えたわけではない)
大衆社会と大正デモクラシー・民族運動 ── 解答
基礎
- ア 1930 年 答え:1930 年。
- エ 新婦人協会・婦人参政権運動 答え:新婦人協会・婦人参政権運動。
- エ 「元始、女性は太陽であった」 「人の世に熱あれ…」は水平社宣言(1922)。
- ウ 移民法(アジア系移民の事実上の禁止) 日本では「排日移民法」とよばれ、日米関係悪化の一因になった。
標準
- エ 納税要件を撤廃し、25 歳以上の男子全員に選挙権(有権者は約 4 倍の 1,240 万人)。女性は除外 答え:納税要件を撤廃し、25 歳以上の男子全員に選挙権(有権者は約 4 倍の 1,240 万人)。女性は除外。
- ウ タイピスト・電話交換手・バスガール 答え:タイピスト・電話交換手・バスガール。
- ウ イギリスが令状なしの逮捕を認める法律を作り、抗議集会に発砲して多数を殺害した。反英運動が高まった 答え:イギリスが令状なしの逮捕を認める法律を作り、抗議集会に発砲して多数を殺害した。反英運動が高まった。
- ア 関東軍が満州の軍閥張作霖を列車ごと爆殺したが、息子の張学良は国民政府側についたため、日本の思惑は外れた 田中義一内閣は真相を公表せず、天皇の不信を買って総辞職した。関東軍の独走の始まり。
- エ 陳独秀の『新青年』や胡適・魯迅が、白話(口語)文学の提唱や儒教批判を通じて中国の近代化を訴えた 魯迅『狂人日記』『阿Q正伝』。五・四運動の思想的な土台になった。
発展
- イ 青鞜社 → 友愛会 → 新婦人協会 → 全国水平社 → 治安維持法 → 三・一五事件 答え:青鞜社 → 友愛会 → 新婦人協会 → 全国水平社 → 治安維持法 → 三・一五事件。1912 → 1918 → 1923 → 1924 → 1925/1919.3 → 1919.5 → 1921 → 1924 → 1926 → 1928/1911 → 1912 → 1920 → 1922 → 1925 → 1928/1919 → 1922 → 1923 → 1927 → 1930。
- エ 普通選挙とマスメディアで大衆が政治の主役になったが、その大衆は画一的な情報や扇動に動かされやすく、ムッソリーニやナチスは大衆の支持で政権を得たから 日本でも普通選挙で選ばれた議会が 1930 年代に軍部に押されて戦争を止められなかった(ht-08)。
- エ 憲兵警察の廃止や新聞の発行許可など統治を緩めたが、同化政策と植民地支配そのものは続き、独立要求に応えたわけではない 1930 年代後半には皇民化政策(創氏改名・神社参拝・日本語強制)へ進む(ht-09)。
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