世界恐慌とファシズム・日本の軍部台頭 ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 独ソ不可侵条約 → 第二次世界大戦開始・ノモンハン事件 (ア 1927 年 イ 1929 年 ウ 1939 年 エ 1930 年)
- 世界恐慌への対応として、ソ連(スターリン)がとった政策はどれですか。 (ア ナチスによる一党独裁、アウトバーンなど公共事業と軍需で失業解消、再軍備と領土拡大 イ ニューディール:TVA などの公共事業・農業調整法・ワグナー法・社会保障法で政府が経済に介入 ウ ブロック経済:金本位制停止、オタワ連邦会議で植民地・自治領との特恵関税 エ 五か年計画:計画経済で恐慌の影響をほぼ受けずに工業化(農業集団化で犠牲))
- 世界恐慌のときアメリカの失業者はおよそ何人で、労働者の何人に 1 人でしたか。 (ア 約 1,300 万人、4 人に 1 人 イ 約 10 万人、1,000 人に 1 人 ウ 約 100 万人、100 人に 1 人 エ 約 5,000 万人、2 人に 1 人)
- 五・一五事件で暗殺された犬養毅首相が残したとされる言葉はどれですか。 (ア 「話せばわかる」(襲撃者は「問答無用」と応じた) イ 「閥族打破・憲政擁護」 ウ 「国民政府を対手とせず」 エ 「臥薪嘗胆」)
標準
- 世界恐慌とファシズムについて、1933 年の全権委任法の内容はどれですか。 (ア 国際連盟から脱退した イ 政府(ヒトラー内閣)が議会の承認なしに法律を制定できるようにした ウ ユダヤ人の市民権を奪った エ 徴兵制を復活させた)
- 日本の恐慌と軍部の台頭について、軍部大臣現役武官制の復活(1936)が政治に与えた影響はどれですか。 (ア 議会が軍事費を決められるようになった イ 軍人が首相になることが禁止された ウ 軍が政治に関わらなくなった エ 陸海軍が大臣を出さなければ内閣が成立しなくなり、軍の意向に反する内閣をつくれなくなった)
- 日中戦争と戦時体制について、南京占領後、国民政府がとった行動はどれですか。 (ア 北京に戻った イ 日本に降伏した ウ 重慶に移って抗戦を続け、米英ソの援蔣ルートで支援を受けた エ ソ連に亡命した)
- 1933 年に国際連盟を脱退した 2 つの国はどれですか。 (ア 日本とドイツ イ ドイツとソ連 ウ 日本とイタリア エ アメリカとイギリス)
- 日本が 1930 年代前半に主要国で最も早く恐慌から脱出できた理由として適切なものはどれですか。 (ア 金本位制を守って通貨を安定させたから イ 農業を中心に自給自足に戻ったから ウ ブロック経済で植民地との貿易を独占したから エ 金輸出再禁止による円安で綿製品などの輸出が伸び、満州事変以降の軍事費と公共事業が需要を生んだから)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 満州事変/満州国建国/五・一五事件/リットン報告書/国際連盟脱退 (ア 満州事変 → 五・一五事件 → 満州国建国 → 国際連盟脱退 → リットン報告書 イ 満州国建国 → 満州事変 → リットン報告書 → 五・一五事件 → 国際連盟脱退 ウ 国際連盟脱退 → リットン報告書 → 五・一五事件 → 満州国建国 → 満州事変 エ 満州事変 → 満州国建国 → 五・一五事件 → リットン報告書 → 国際連盟脱退)
- 「持てる国」と「持たざる国」という見方で 1930 年代を説明したものとして適切なものはどれですか。 (ア 持てる国と持たざる国の区別は恐慌と無関係だった イ 植民地と資源をもつ英米仏がブロック経済で自給圏を閉じたため、もたない独伊日は軍需と領土拡大で不況を脱しようとし、国際対立が戦争に向かった ウ 持たざる国が国際協調で恐慌を乗り切った エ 持てる国が植民地を手放して世界貿易が回復した)
- 大日本帝国憲法下で軍部が政治を動かせるようになった制度上の要因として適切なものはどれですか。 (ア 議会が軍に命令する権限をもっていたこと イ 統帥権が天皇に直属して内閣・議会から独立しており、軍部大臣現役武官制で軍が内閣の成立を左右できたこと ウ 憲法で軍人が首相になることが義務づけられていたこと エ 国民投票で軍事行動が決められたこと)
世界恐慌とファシズム・日本の軍部台頭 ── 解答
基礎
- ウ 1939 年 答え:1939 年。恐慌 1929 → 満州事変 1931 → 連盟脱退 1933 → 二・二六 1936 → 日中戦争 1937 → 総動員法 1938 → 大戦 1939。
- エ 五か年計画:計画経済で恐慌の影響をほぼ受けずに工業化(農業集団化で犠牲) 持てる国(米:ニューディール、英仏:ブロック経済)と持たざる国(独伊日:ファシズム・侵略)、計画経済のソ連。答え:五か年計画:計画経済で恐慌の影響をほぼ受けずに工業化(農業集団化で犠牲)。
- ア 約 1,300 万人、4 人に 1 人 ドイツは約 600 万人で 3 人に 1 人。失業率のグラフから国を当てる問題が出る。
- ア 「話せばわかる」(襲撃者は「問答無用」と応じた) 言論による政治が暴力に屈した象徴として語られる。
標準
- イ 政府(ヒトラー内閣)が議会の承認なしに法律を制定できるようにした 答え:政府(ヒトラー内閣)が議会の承認なしに法律を制定できるようにした。
- エ 陸海軍が大臣を出さなければ内閣が成立しなくなり、軍の意向に反する内閣をつくれなくなった 答え:陸海軍が大臣を出さなければ内閣が成立しなくなり、軍の意向に反する内閣をつくれなくなった。
- ウ 重慶に移って抗戦を続け、米英ソの援蔣ルートで支援を受けた 答え:重慶に移って抗戦を続け、米英ソの援蔣ルートで支援を受けた。
- ア 日本とドイツ イタリアは 1937 年に脱退。ソ連は 1934 年に加盟し 1939 年に除名。国際連盟は大国が抜けて機能を失った。
- エ 金輸出再禁止による円安で綿製品などの輸出が伸び、満州事変以降の軍事費と公共事業が需要を生んだから ただし輸出拡大はイギリスなどから「ソーシャル=ダンピング」と非難され、ブロック経済で締め出される方向に働いた。
発展
- エ 満州事変 → 満州国建国 → 五・一五事件 → リットン報告書 → 国際連盟脱退 答え:満州事変 → 満州国建国 → 五・一五事件 → リットン報告書 → 国際連盟脱退。1927 → 1929 → 1930 → 1931.9 → 1931.12/1931.9 → 1932.3 → 1932.5 → 1932.10 → 1933.3/1922 → 1932 → 1933.1 → 1933.3 → 1935 → 1936/1935 → 1936 → 1937 → 1938 → 1940。
- イ 植民地と資源をもつ英米仏がブロック経済で自給圏を閉じたため、もたない独伊日は軍需と領土拡大で不況を脱しようとし、国際対立が戦争に向かった 第二次世界大戦後、この教訓から自由貿易体制(IMF・GATT)がつくられた(kk-09)。
- イ 統帥権が天皇に直属して内閣・議会から独立しており、軍部大臣現役武官制で軍が内閣の成立を左右できたこと 日本国憲法は文民統制(66 条:大臣は文民)と戦争放棄(9 条)でこれを断った(kk-02)。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.pages.dev/daigaku/social/ht-08/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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